ロックバンド東京事変のボーカルでもある、椎名林檎(しいな りんご)さん。
椎名林檎さんの若い頃はどんな感じだったのでしょうか?
気になる生い立ちを調べてみました。
本名や出身地、兄弟や両親についてもお話していきます!
椎名林檎の若い頃は?
椎名さんの若い頃ですが、『キレイすぎる』と話題です。
#Nowplaying ここでキスして。 – 椎名林檎 (ここでキスして。 – Single) pic.twitter.com/L3kaoyP1F9
— ゆっぴー@はっちゃけとも名乗る (@hacchakeen28) May 22, 2025
『逆輸入 ~航空局~』がついにリリースとなった椎名林檎ですが、本日より、Yahoo!ニュースに特集記事が掲載されております。インタビューと、ふんだんの撮り下ろし写真は必見です。https://t.co/BJ1nytHUf9
— SR猫柳本線 椎名林檎・東京事変オフィシャル (@Nekoyanagi_Line) December 6, 2017
私は小さい頃、リアルタイムで見ていました。
椎名さんは1998年にシングル『幸福論』でデビュー。
椎名さんが19歳の頃でした。
デビュー時の画像も色気があって素敵でした。
1999年にリリースした『ここでキスして。』が大ヒット。
これをきっかけに沢山の人に知られました。
それからも『ギプス』など、記憶に残る楽曲を次々リリース。
私は『本能』のMVが特に綺麗だと思います。
『本能』ではナース服に赤いリップ、拡声器を使っています。
ナース服にピンヒールでガラスを蹴り割る姿が衝撃的!
よく覚えています!
今でもカラオケではよく歌っています。
2004年に東京事変のボーカルとしてもデビューしています。
東京事変の『群青日和』のMVもよく記憶に残っています。
ライトに照らされた椎名さんがセクシーだったのを覚えています。
どうしてこんなに椎名さんは色気があるのでしょうか?
内面の美しさからきているのかも知れません。
椎名さんは言葉を選んで話すためか、ゆっくりな話し方です。
そのゆっくりとした話し方がまた色っぽく素敵です。
『大人の余裕』みたいなものが感じられます。
勿論容姿もすごく綺麗です。
近年は着物もよく着ています。
品のある色気がとても素敵です。
若い頃から歳をと重ねてもずっと美しい!
女性の憧れです!
あけおめ
ことよろ
二◯二四 pic.twitter.com/pdNB3zB4Tq— SR猫柳本線 椎名林檎・東京事変オフィシャル (@Nekoyanagi_Line) December 31, 2023
椎名林檎の生い立ち!
椎名林檎は先天性食道閉鎖症
椎名さんは生後すぐ、「先天性食道閉鎖症」という病気でした。
先天性食道閉鎖症とは、生まれつき食道が途切れているため、栄養を摂取できない病気。
2日にわたる大手術をしたようですが、後遺症が残ってしまったそう。
小さい頃からピアノとバレエを習っていました。
後遺症と、第二次性徴期に右半身の発育が止まる奇形であったこともあり、どちらも断念。
バレエは母のすすめで10年以上レッスンを受けていましたが、結局は身体のバランスを矯正する痛みを克服できずにやめました。そうして打ち込んできた芸も諦め、学校でも、父や母ともうまくいかない。そんな思春期に、自分一人で責任を取れる場所に思えたのが、譜面の中だけだったんじゃないでしょうか。
引用:Yahooニュース
椎名さんでも人間関係や、自分自身に悩み苦しんだ時期があったようです。
私個人的に、椎名さんは何でもそつなくこなす高嶺の花のイメージ。
いろいろな悩みを抱えるのは私も同じだったため、少し親近感が湧きました。
椎名林檎の学歴・小学校~高校
小学校は、静岡県静岡市立清水有度(うど)第二小学校。
10年、静岡県に住んでいたようです。
小学校6年生の時に、父の転勤で福岡に転校されました。
中学校は、福岡県福岡市立百道(ももち)中学校。
1学年下に女優の山口紗弥加さんがおられます。
中学生の時には演劇部に入部。
この頃には演劇用の作曲を始めた椎名さん。
高校は福岡県立筑前高等学校。
偏差値62の進学校になります。
高校では学級委員を務め、成績も優秀だったそう。
高校では軽音楽部に入部します。
筑前高校出身者に声優の山口勝平さん、演歌歌手の山内惠介さんがおられます。
作曲もする一方、組んでいたコピーバンドではライブハウスで活動。
高校1年生の時に、第19回ホリプロタレントスカウトキャラバンに出場。
さらに翌年には「第9回 TEENS’ MUSIC FESTIVAL」に出場。
組んでいた、『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンド。
福岡地区で1位となりました。
そして見事全国大会に出場。
奨励賞を受賞しています!
椎名さんは高校2年の3学期が終わった頃、高校を中退。
あと少し通ったら卒業だったのに勿体ないです。
それでも音楽で生きていくという決意の強さが伝わります。
椎名林檎・高校中退後、音楽の道へ
そしてフリーターをしながら音楽の道へ。
「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の福岡大会にバンドで出場。
すると大会の関係者にソロになることを勧められました。
決勝大会には椎名林檎としてソロで出場。
「ここでキスして。」を歌って優秀賞を受賞しました。
そしてレーベルから声がかかり、東芝EMIと契約。
デビューを掴みました。
デビュー前に、何度も大会に出場していたのですね。
何回出場してもいいところまで進出できるのすごいです!
天性の才能ですね!
椎名林檎の本名は?
椎名さんの本名は、椎名 裕美子(しいな ゆみこ)さん。
芸名の「林檎」という名前。
ビートルズのドラマー、リンゴ・スターの名前からとったそう。
バンドを始めた時に、ドラマーからスタートしたからです。
ボーカルのイメージが強い椎名さん。
ドラムをしていたのは知りませんでした!
ドラムを演奏している姿も見てみたいです。
また、小さい頃の椎名さんは、恥ずかしがり屋さん。
すぐ頬が赤くなってしまうことから『リンゴ』と呼ばれていました。
そのことも芸名に繋がっているとされています。
そんな由来があったとは、とても可愛い理由です!
名字は、そのまま椎名さんでした。
オシャレでカッコいい名字で羨ましいです!
椎名という名字は全国で約28,800人。
私はまだ会ったことがないのですが、結構います。
主に首都圏に多いそうです。
椎名林檎の出身はどこ?
椎名さんは、埼玉県浦和市で産まれました。
2歳の時に父の転勤で静岡県清水市に。
そして10年間生活。
その後はまた転勤で、福岡県福岡市に引っ越しました。
椎名さんの出身地は福岡県になっています。
それは音楽活動を始めたのが福岡県だったからだそうです。
椎名さんの父は転勤族だったようです。
私は引っ越しの経験が少ないです。
子どもの頃の引っ越しは友達と離れるのが寂しい思いと、
新しい土地での生活にワクワクする思いがあります。
椎名さんは小6、12歳での引っ越し。
寂しい思いが大きかったのではないでしょうか。
そのため、家族や学校でも「うまくいかない」と感じていたのかも。
椎名林檎の家族はどんな人?
椎名林檎の兄はシンガーソングライター椎名純平!
椎名さんの兄は、椎名純平(しいな じゅんぺい)さん。
シンガーソングライターとして活動されています。
純平さんは、ジャズやソウルを主にしたスタイルです。
2000年代前半はたまにテレビで見た記憶があります!
純平さんは、オーディションでグランプリを獲得!
2000年にデビューしました。
妹の林檎さんも大会に出場していました。
才能に溢れているすごい兄妹です!
2人は兄妹で共演したこともあるそう。
純平さんのカバーアルバム『discover』。
林檎さんとのデュエット曲『Where Is The Love』が収録されています!
『この世の限り』という楽曲でも共演。
こちらは映画『さくらん』のエンディングテーマです。
聴きましたが、2人の声が素敵なハーモニーの楽曲でした!
純平さんは他にも、篠原涼子さんとの楽曲もありました。
こちらはメロウなテンポの素敵な楽曲でした。
純平さんは林檎さんとまた違った良さがあります!
父は外資系石油会社、母は専業主婦??
椎名さんのお父さんは、外資系の石油会社に勤務。
椎名さんが小さい頃、お父さんは転勤が多かったそう。
椎名さんのお父さんはジャズやクラシックが大好き。
幼少期はいつも家ではクラシックが流れていたそうです。
お母さんは何をされている方なのか分かりませんでした。
旦那さんが転勤族だと、なかなか勤めるのは難しそう。
椎名さんのお母さんは、専業主婦だった可能性もありますね。
お母さんは歌謡曲が好きだったようです。
純平さんと椎名さんは、様々な音楽を聴きながら育ってきたのですね。
伯父と従姉妹はイラストレーター
また、伯父はイラストレーターやブックデザイナーの辰巳四郎さん。
その娘さんのイラストレーターの藤森玲子さんとは従姉妹です。
音楽にイラスト、まさに表現一族!
椎名さんのお子さん達もどんな風になるのか楽しみです!
福井市中央公園で開催するロック・フェス。
「ONE PARK FESTIVAL 2025」に2年ぶりの出演が決まっている椎名さん!
どんな熱いステージを見せてくれるのか楽しみです!
椎名林檎さんの旦那さんについての記事はこちら↓から。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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